★忍者講座 9/20(土)13:00~
歴史ファンはもちろん、忍者文化に興味のある方にもおすすめの講座です。
伊賀の地に息づく“忍び”の知恵と、戦国のドラマをぜひ体感してください!
🏯お題:戦国三英傑と伊賀流忍者
戦国時代の英雄たちと、影で歴史を動かした伊賀忍者たちの知られざる関係に迫る講座です。織田信長・徳川家康・豊臣秀吉という「戦国三英傑」が、伊賀の地とどのように関わったのかを、史料や伝承をもとに読み解きます。
🔥主な内容
– **織田信長と伊賀攻め**
信長が伊賀を制圧しようとした背景と、伊賀惣国一揆との戦いを紹介。伝承『伊乱記』を通じて、当時の伊賀の雰囲気を体感します。
– **徳川家康の伊賀越え**
本能寺の変後、家康が命からがら伊賀を通過したとされる「伊賀越え」の真相に迫ります。諸説あるルートの中で、伊賀説の根拠を探ります。
– **豊臣秀吉と伊賀支配**
秀吉が伊賀に身分制度を導入し、牢人と百姓並に分けた政策の背景を解説。伊賀の自治と「無足人」の始まりを紐解きます。
🏯関連トピック(ちょこっと紹介します)
– 伊賀上野城と城下町の歴史
– 太閤検地と伊賀の土地支配
– 伊賀の秋冬グルメや温泉の魅力
★講師紹介
【講師】幸田知春
伊賀流忍者博物館の学芸員。大学では史学科を専攻の経歴を持ち、学芸員・高校地理歴史教員免許の有資格者。伊賀忍者について解説させていただきます。生まれも育ちも伊賀、忍者屋敷のくノ一出身の学芸員。みなさまに織田信長・徳川家康・豊臣秀吉の「戦国三英傑」をお題に歴史に残る名を残す「伊賀(忍者)」の歴史と魅力を存分にお伝えいたします!
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★忍者講談会 9/21(日)14:30~15:00
旭堂南喜 「般若寺の焼討ち」
ヒーロー忍者は真田幸村の元で生まれました。 その幸村のお話をまずはお楽しみ頂きます。
★講談師:旭堂南喜
1986年3月生まれ兵庫県小野市出身。 2019年11月四代目旭堂南陵へ入門。 2021年3月南陵死去にともない南鷹の預かり弟子となる。 人情の講談が好きです!
玉田玉秀斎 「猿飛佐助 発端」
ヒーロー忍者が世に知られるようになったのは立川文庫から。 その立川文庫「猿飛佐助」の名場面、幸村と佐助の出会いをお届けします。
講談師:四代目 玉田 玉秀斎(たまだぎょくしゅうさい) 玉田家は幕末、京都を拠点に活躍した神道講釈師・玉田永教の流れをくみ、三代目玉秀斎は『猿飛佐助』『真田十勇士』『菅原天神記』『安倍晴明伝』などを世に広め、明治大正期の若者に大きな影響を与えた。四代目玉秀斎はロータリー交換留学生としてスウェーデンに留学中、逆に日本に興味を持ち講談師に。英語講談や音楽コラボ講談、地域に残る物語に光を当てる“観光講談”に力を入れ、ホームレス経験者への取材を元にしたビッグイシュー講談、SDGs講談など創作多数。更に文楽や吉本新喜劇、地域の伝統芸能とのコラボ公演も多い。 2024年3月三重大学大学院修士課程「忍者・忍術学コース」修了。 2024年4月より和歌山大学大学院・観光学研究科後期博士課程にて研究中。 FM大阪『天才的なバカになれ!』毎週日曜放送中
🏯講談とは何か
日本の伝統話芸の1つで、真田幸村が活躍する難波戦記、豊臣秀吉の人生を物語る太閤記、赤穂浪士の忠義を今に伝える赤穂義士伝、御老公の勧善懲悪もの水戸黄門漫遊記などがある。張り扇(はりおおぎ)で釈台を叩きながら、日本語気持ち旋律と間で物語を盛り上げる。「講談師 見て来たような 嘘をいい」という川柳が残るほど、虚実入り交じりの物語であるが、聴いた方々の頭の中に映像が浮かび、それはオーダーメイド映画館のようだと称される。
🎭講談速記本から文庫本への発展
明治期になり、速記術が生まれ、それが講談にも活用された。その結果、船場で多くの講談速記本が出版された。猿飛佐助や霧隠才蔵はその中で生まれた。明治44年、立川文明堂から出版されたタバコ箱サイズの文庫本の出現により、講談の主人公たちの活躍の場が文庫本に移った。今までの講談速記本は講談師が語ったものを速記した文体で書かれていたが、立川文庫は読むための本として文体が改められた。その中で猿飛佐助は大ヒットを飛ばした。
🏙️大阪・船場とヒーロー忍者
上記のように、大阪・船場で出版された講談速記本の中でヒーロー忍者「猿飛佐助」は生まれた。その口演者は玉田玉秀斎(3代目)であった。玉秀斎が忍者をヒーローとして描くまで、娯楽の世界で忍者は悪者として描かれ、しかも端役であった。玉秀斎は彼らを主人公にすることで、ヒーロー忍者という新しいジャンルを切り開いた。その影には速記を手伝った愛媛県今治市出身の山田一家の努力があった。
🐒猿飛佐助の誕生
講談速記本の中で猿飛佐助が登場するのは、神田伯龍口演、丸山平次郎速記『難波戦記後日談 真田大助』(明治34年3月、博多成象堂)が確認されている中で一番古い。しかし、端役であり、活躍することもなくその登場場面は終わる。 猿飛佐助の本格的な登場は、西尾魯山口演、井下士青速記『真田昌幸』(明治35年1月、岡本偉業館)、そして、玉田玉秀斎口演、山田酔神速記『真田幸村諸国漫遊記』(明治36年4月、中川玉成堂)まで待つ必要がある。 この後、玉秀斎たちが猿飛佐助を独立した主人公として物語を紡ぎ出し、立川文庫40編『猿飛佐助』の大ヒットへとつなげるのである。
