6世紀
大伴細人が「志能便(しのび)」として、聖徳太子に仕えたという記録が残されている。
7世紀後半
藤原千方が四鬼を使い、謀反を起こしたとの伝説が残る。
鎌倉後期~南北朝時代
荘園制のなかで名主たちは勢力を蓄え、一部は荘園領主に反抗する悪党となった。
室町時代
荘園制度が衰退し、名主や悪党といった在地勢力が土豪・地侍と呼ばれる領主として地域支配を確立。山伏たちと交流をもち、修験道の道を極めて忍術を身につけていく。
1487年(長享元)年
鈎の陣において甲賀衆が顕著な活躍を見せる。
1579(天正7)年
第一次天正伊賀の乱。織田信長の次男信雄の侵攻を伊賀衆の徹底抗戦により退ける。
1581(天正9)年
第二次天正伊賀の乱。信長により伊賀の各地が焼亡させられる。
1582(天正10)年
本能寺の変。京都の本能寺にて明智光秀が織田信長に謀叛し、信長が自害。神君伊賀甲賀越えでは、服部半蔵や伊賀衆、甲賀衆が家康を警護したという説がある。

1582(天正10)年
山崎の戦い。信長の死を知らされた羽柴(豊臣)秀吉が、明智光秀を討つ
1585(天正13)年
秀吉の紀州雑賀攻めで甲賀衆が失態を犯し、改易させられてしまう。
1598年(慶長3)年
豊臣秀吉が病気により没する。
1600年(慶長5)年
秀吉亡き後の実権を巡って、石田三成と徳川家康の間で関ヶ原の戦いが勃発。その前哨戦として伏見城の戦いが起こるが、家康の援軍要請により300人の甲賀衆が参戦するも、そのほとんどが討ち死にしてしまう。甲賀百人組のルーツ。
1600年(慶長5)年
関ヶ原の戦いで、徳川軍が勝利。
1603年(慶長8)年
江戸幕府が開かれる。
江戸初期
大坂に対する城として、家康の命により藤堂高虎が伊賀上野城を改修。城下町を整備し、伊賀者を「忍町」に住まわせ。
1850年(寛政12)年
伏見城籠城250年回忌の法要が行われる。