時は経ち1578(天正6)年。丸山城の戦いが勃発します。北畠家の養子となった織田信長の次男、織田信雄(のぶかつ)は、北畠一族を暗殺し伊勢を掌握すると、次に伊賀を領土化する計画を立てます。そして、伊賀を攻め込む拠点として、部下である滝川雄利に丸山城の修復を命じました。その情報を知った伊賀衆たちは、丸山城から木津川を挟んだ対岸にある無量寿福寺に集まり、修復中の丸山城を不意打ち。滝川雄利は撤退を余儀なくされました。しかし翌年の1579(天正7)年、織田信雄は独断で約8,000の兵を率いて伊賀攻めを強行します。伊賀衆たちは夜襲や奇襲を駆使し、またしても織田軍を撃退しました。これを第一次天正伊賀の乱といいます。
