織田信雄の無断行動と敗戦を知った信長は激怒し、2年後の1581(天正9)年、信雄を総大将とする5万の軍勢をもって、再び伊賀に攻め込みました。このとき、六角氏が敗れたことから信長の支配下におかれていた甲賀衆たちも、信雄軍に加わったとされています。4箇所から攻め込まれた伊賀衆は、平楽寺をはじめ比自山城に籠城し、奇襲攻撃などを仕掛けて信雄軍にも大きなダメージを与えますが、その圧倒的な兵力に制圧され、名張の柏原城に逃げ込みます。約1,600の軍勢が集結し交戦しましたが、兵糧攻めに合い、最終的には降伏しました。この戦いでは、約2週間で伊賀の各地が焼き尽くされたと言われています。後日、信長自ら伊賀に視察に訪れたことからも、伊賀衆の実力に一目置いていたことがうかがえます。
