忍者という存在は、歴史の中では静かに、そして慎ましく生きていた。
彼らは戦国の混乱の中で、潜入や偵察、攪乱といった実務を担う“影の技術者”であり、決して表舞台に立つことはなかった。しかし、時代が進むにつれて、忍者は歴史の裏側から物語の中心へと歩み出し、やがて日本を代表するヒーローとして再発見されていく。
その変化の過程は、まるで忍者自身が時代の闇から姿を現すかのように、静かでありながら劇的だった。
江戸時代、戦国の記憶がまだ人々の心に残っていた頃、忍者はまず“語り物”の世界で息を吹き返した。講談や読本では、武将たちの活躍が華やかに語られ、その裏で暗躍する忍びの存在が物語を盛り上げる役として描かれた。忍者は、戦場の裏側で敵陣に忍び込み、秘密を盗み、危機を救う影の英雄として脚色されていく。
この頃から、忍者はすでに“現実の人物”というより“物語のキャラクター”として扱われ始めていた。
明治時代に入ると、忍者はさらに大きな変化を迎える。武士の時代が終わり、近代国家が形づくられる中で、人々は“日本らしさ”を象徴する存在を求めた。侍が武士道の象徴として語られる一方で、忍者は“もうひとつの日本のヒーロー”として再発見される。
」小説家たちは忍者を題材にした冒険物語を書き、忍者は神秘的で不思議な力を持つ存在として描かれるようになった。この時期、忍者は完全にフィクションの世界へと足を踏み入れ、読者の想像力を刺激するヒーローへと変貌していった。
そして昭和に入ると、忍者は一気に大衆文化の中心へと躍り出る。
映画やテレビドラマ、漫画が次々と忍者を取り上げ、黒装束、手裏剣、分身の術といったイメージが定着していく。特に昭和30年代の忍者ブームは決定的で、忍者は子どもたちの憧れの存在となり、日本を代表するキャラクターとして世界に広まっていった。
この頃の忍者は、もはや歴史の影に潜む存在ではなく、堂々とスクリーンや紙面を駆け回る“国民的ヒーロー”だった。
しかし、物語としての忍者が広まる一方で、伊賀や甲賀では“本来の忍びの姿”を伝えようとする動きも続いていた。江戸時代に編纂された『萬川集海』は、忍術を体系化した貴重な史料であり、忍者の実像を知る手がかりとなる。また、地域の伝承や古文書には、忍びがどのように生き、どのように戦い、どのように地域を守ってきたのかが記録されている。
これらの史料は、忍者を単なるフィクションではなく、歴史の中で確かに存在した“生きた人々”として理解するための鍵となる。
現代において、忍者は世界中で愛されるキャラクターとなった。アニメやゲームの影響で、忍者は日本文化の象徴として広く知られ、海外の子どもたちが最初に覚える日本語が「ニンジャ」ということも珍しくない。
しかし、その人気の裏側には、伊賀や甲賀の人々が長い時間をかけて築き上げてきた歴史と技術、そして地域の誇りがある。忍者は、単なる空想の存在ではなく、歴史と物語が重なり合って生まれた“文化そのもの”なのだ。
忍者を知るということは、歴史を知ることであり、物語を知ることであり、そして人々の生き方を知ることでもある。伊賀と甲賀の山々に息づいた技術と精神は、時代を超えて形を変えながら、今もなお世界中の人々を魅了し続けている。
忍者とは、歴史と想像力が生んだ、日本が世界に誇る“永遠のヒーロー”なのである。
