歴史に実在した忍者の姿
歴史に実在した本物の忍者は、創作の忍者像とは大きく異なり、派手なアクションをするヒーローではなく、情報収集・潜入・攪乱を専門とする高度な技能集団でした。危険と隣り合わせの任務を黙々とこなす“影のプロフェッショナル”です。江戸時代には、幕府の警備や情報機関として組織化され、国家の安全を支える役割を担います。
忍者の起源と呼称
忍者の活動そのものは、古くから各地に見られるが、日本で確認できる最古の記録は『太平記』(応安年間・1368〜1375)とされています。当時は「忍び」「草(くさ)」「かまり」「透波(すっぱ)」「乱波(らっぱ)」など多様な呼称が存在し、「忍者」という言葉は、昭和30年(1955年)代以降に使われた新しい呼び名です。
戦国時代の忍者の仕事
戦国大名は、時に数百人規模の忍び集団を抱え、以下の任務を与えていました。その任務は、潜入中に捕らえられ刑罰を受けるのほか、冬の潜伏で凍死した忍びの記録も残るなど、命の関わる危険がともないました。
情報収集(草・かまり)
- 草むらに潜み敵情を探る
- 夜道の案内
- 偽装して敵地に潜入し情報を持ち帰る
攪乱・破壊工作
- 敵地への潜入放火
- かがり火を使った夜間警備・合図
- 城に紛れ込み混乱に乗じて占拠する「城乗っ取り」
江戸時代の忍者の仕事
戦国が終わると、忍者の役割は大きく変化します。公式な役職としての「伊賀者」「甲賀者」が、江戸幕府に仕え、警備・監視・火付け対策などを担当します。役職としての「伊賀者」は世襲化し、江戸城の警備を担いました。また、徳川吉宗が紀州藩の薬込役を登用して設置した情報収集の専門機関「御庭番」として、将軍直属の情報機関として、密かに各地へ派遣され調査などを行いました。
忍者の生活と居住地
江戸に忍者が住んだ地域が地図に「伊賀町」「甲賀町」とあり、現在の新宿区若葉(四ツ谷付近)や千代田区神田淡路町などにその痕跡が残されています。
