- 名 前:百地 山椒大夫(愛称 ももちぃ)
- 誕生日:西暦1520年4月20日
- 任務:二代目 赤目四十八滝の主 ・観光産業推進キャラクター ・修行ミッションは「人々の心を豊かで 多様な自然環境へと向けさせ、自然に対 する感謝を思い出させる」こと。
- 相棒:コケ千代(赤目渓谷の苔の精霊)
誕生物語
時は飛鳥時代(650年頃)、赤目四十八滝で修験中の役小角(役行者)は、最上流の滝「岩窟滝」での滝行のおりに巨大なオオサンショウウオに出会った。神通力によりそのオオサンショウウオと話せば、なんとこのオオサンショウウオは500年を生きているという。猫は100年生きると猫又へと変化し、白狐は100年生きると妖狐へと変化、モノも100年経つと付喪神になる。
ところがオオサンショウウオは元来寿命が⻑く100年200年と生きる者もいるため、妖怪変化の兆しもなくただただ年老いたらしい。不憫に思った役小角は当代一の神通力を使って、そのオオサンショウウオを山椒魚のモノノケへと生まれ変わらせて、新たに1500年の寿命を与えた。モノノケ変化した山椒魚はオオサンショウウオ時代と山椒魚時代を合わせて2千年を生きるのだ。
役小角の修験者としての着想発想はここで止まらない。役小角はこの山椒魚を霊場赤目渓谷の守護神つまり「赤目四十八滝の主」と成すべく修験を積ませた。修験のかいあり山椒魚がその妖力を神通力に変えることができた時、役小角は山椒魚に赤目四十八滝の主「山椒大夫=さんしょうだゆう」と名乗らせ、以降の霊場赤目渓谷の守護と修験者たちの導きの役を与えると、そのまま葛城山へと立ち去った。
それからおよそ900年後の室町時代は戦国の世、修験道を極めた山椒大夫は赤目四十八滝を武術修行の場とする者どもに様々な術を授けていた。その者どもが伊賀忍者となり、そこで山椒大夫が授けた術が伊賀流忍術だった。武術修行を積む伊賀忍者の中に百地と名乗る若者がいた。敏捷な身体能力もさることながら、なによりも自然と真摯に向き合い同化できる才能が山椒大夫の目に留まった。山椒大夫は百地を特別に鍛え上げ、自らの名を山椒大夫に因んだ三太夫を与え「百地三太夫」と名乗らせた。
ある日、百地三太夫が岩窟滝で修行をしていると、滝つぼから一尾の若いオオサンショウウオが現れ百地の正面でたたずんだ。百地もオオサンショウウオも互いに目を外さずに動かない。その気配に気付いた山椒大夫は百地に尋ねた。「おぬしそのオオサンショウウオと意志が通じるのか?」。百地はそうだと答えた。山椒大夫は山椒魚となったももちぃに、自らの山椒大夫の名と百地三太夫 の姓を与えて「百地山椒大夫=ももち さんしょうだゆう」と名乗らせた。
さらに生まれ変わった百地山椒大夫を一人前の二代目「赤目四十八滝の主」に育てるための修験を付け始めた。ただ、百地山椒大夫は500歳を生きてきたものの、モノノケとしては生まれ変わったばかりの幼子である。伊賀流忍術の体術などは身体に染みこんでいるが、モノノケ変化の副作用で姿と精神には幼児後退が起こったようで、姿が幼くなっただけでなく、ついつい自分を「ももちぃ」と言ってしまう癖もある。さて、百地山椒大夫の修験が始まったその頃、人類界に起こったコロナ禍の波は赤目四十八滝にも影響を及ぼした。
人々がさっぱり赤目渓谷を訪れなくなったのだ。神通力や妖力というものは、人々が霊場の霊力を感じ取った時の信仰心、大自然への感動や畏怖心によって増幅されるものである。それがほとんど無くなったコロナ禍時期は、ももちぃの山椒魚モノノケ変化に神通力を使い切り、僅かな霊力しか残っていない一代目にはひどく堪えた。そこで一代目はしばし霊力を蓄えるために霊場深くに籠もることにし、百地山椒大夫には自主修験の一環として人間界への修行に出すことにしたのだった。折よく赤目四十八滝の入口には「赤目滝水族館」が誕生し、山椒大夫たちの生まれ故郷である「岩窟滝」を模した水槽も増設された。百地山椒大夫は当分の間、赤目滝水族館にやっかいになることになった。
百地山椒大夫は生まれ変わってまだ幼く、二代目として修行中の身であるし、時には赤目渓谷から離れた場所に出かけることもあるだろうと考えた一代目は一計を案じた。赤目渓谷の苔の精霊たちの中から、百地山椒大夫がももちぃ時代から仲の良かった「コケ千代」を呼び寄せ、二代目の相棒として付き添わせることにしたのだ。苔の精霊たちは、百地山椒大夫がどこにいても赤目渓谷の水気たっぷりの涼風、さらには四十八滝の霊気をも運んでくれる。
コケ千代からあふれ出るその爽やかな風は、山椒大夫にはもちろんのこと回りの人間達にも力を与えてくれるはずだ。こうして忍術つかいの山椒魚にして「赤目四十八滝の主」見習いである百地山椒大夫(ももちぃ)は、苔の精霊コケ千代と共に人間界に姿を現すこととなった。百地山椒大夫に与えられた修行ミッションは「人々の心を豊かで多様な自然環境へと向けさせ、自然に対する感謝を思い出させる」こと。そのために今はまず、霊場赤目四十八滝への信仰心と観光集客を活性化させるお手伝いを始めたところである。
百地山椒大夫の姿は、赤目四十八滝のそこかしこや「赤目滝水族館」でも見かけるだろう。時には赤目「忍者修行の里」で得意の伊賀流忍術の技を披露しているかもしれない。名張市の観光産業推進キャラクターにも任命されているから日本全国に出かけることもある。彼の姿を見かけた折りには、ここに記された百地山椒大夫の素性を通して、霊場赤目四十八滝の豊かな自然や、修験道と伊賀流忍術を育んできた奥深い歴史に思いを馳せていただければ幸いである。尚、本人に声を掛けるならば、彼の二代目主としての修行のためにも、「ももちぃ」ではなく正しく「さんしょうだゆう殿!」あるいは「百地山椒大夫さん!」と呼びかけてあげていただきたい。
百地の万物への驚くべき同化能力に感心しつつ、そのオオサンショウウオにも尋常ではない妖力を感じ取った山椒大夫は、このオオサンショウウオこそ次世代の山椒大夫として役小角が遣わせた者だと悟り、二代目山椒太夫として育てることを決意したのだった。もとよりオオサンショウウオの言葉を解する山椒大夫である。それからは、百地三太夫とオオサンショウウオを共に鍛えた。百地は共に伊賀流忍術に励むオオサンショウウオに自らの姓から取った愛称「ももちぃ」と名付けて可愛がった。
百地三太夫が赤目四十八滝を出て、手強く英知ある忍者として活躍しはじめてからも、ももちぃの修験は続いた。山椒大夫が察したとおりももちぃは⻑生きだった。百地三太夫が没し、100年経ち200年経ち、本来⻑く生きるオオサンショウウオの寿命をもはるかに超える300歳を超えても生き続けた。そしてついに山椒魚の物の怪に変化できる500歳に達した令和2年(2020年)、山椒大夫は自らの神通力の全てを振り絞って、ももちぃをオオサンショウウオから山椒魚へとモノノケ変化させた。
