雑賀衆とは、紀伊北部を拠点に鉄砲戦を得意とした、自治的な戦国武装集団
●雑賀衆とは?
雑賀衆とは、戦国時代から安土桃山時代にかけて、紀伊国北部(現在の和歌山市・海南市周辺)を拠点とした自治的武装集団を指す呼称です。忍者や忍びではなく、鉄砲を主力とする戦闘集団・地域武装勢力であり、根来衆と並んで「戦国期を代表する非大名系軍事集団」として知られています。
●成立と背景
雑賀衆が成立した背景には、
・紀伊北部の港湾、水運ネットワーク
・地侍、土豪、商人、水軍的勢力の混在
・大名による直接支配が及びにくい地域性
があります。雑賀衆は単一の家系や組織ではなく、複数の有力者・集団の連合体であり、自治的に結束しながら軍事行動を行っていました。
●主な役割・活動
雑賀衆の活動の中心は、鉄砲戦を主体とした正面戦闘・防衛戦です。主な役割は以下のとおりです。
・鉄砲による集団戦闘
・城砦、集落の防衛
・大名勢力への軍事協力(傭兵的参戦)・海、川を利用した機動戦
・宗教勢力(本願寺)との連携
とくに、高度な鉄砲運用能力と連携戦術で知られました。
●行動様式・特徴
雑賀衆の特徴としては、
・大量の鉄砲を保有、運用
・陣形を組んだ集団射撃
・水運、海上移動を活用
・地域防衛を重視
といった点が挙げられます。忍びのような潜入や隠密行動は基本的に担わず、力を示すことで抑止・制圧する存在でした。
●根来衆との関係
雑賀衆と根来衆は、
・地理的に近接
・織田信長と敵対
・鉄砲集団
という共通点を持ち、連携・協調関係にあった時期もありました。ただし、
・根来衆:寺院を基盤とする僧兵的集団
・雑賀衆:地域共同体型の武装集団
という性格の違いもありました。
●織田信長との対立と転機
雑賀衆は、
・石山本願寺勢力と連携
・織田信長と長期にわたり対立
した結果、天正13年(1585年)の紀州征伐によって大きな打撃を受けます。その後、
・豊臣政権
・徳川政権
のもとで、鉄砲の技能を活かして再編・吸収された者も多くいました。
●忍者・忍びとの違い
雑賀衆は、
・伊賀者、甲賀者:隠密、探索
・透波、草:情報収集
・乱波:攪乱
とは明確に異なり、忍者ではなく正規戦に近い戦闘専門集団です。忍者史の文脈では、「忍びと武装集団の違いを示す対照例」として重要とされています。
●歴史的評価
雑賀衆は、
・地方共同体が高度な軍事力を持ち得たこと
・鉄砲が戦国社会の力関係を変えたこと
・大名以外の勢力が戦争を左右したこと
を示す存在です。忍者像を理解する上でも、「忍び=隠密」「雑賀衆=武力」という役割分化を理解することは不可欠です。