伊賀の歴史を語るとき、藤堂高虎の存在は欠かせません。
しかし、その足跡は伊賀の地にとどまらず、江戸の町にも静かに息づいています。
藤堂家は江戸時代、伊賀・伊勢を治める大名として江戸に上屋敷と下屋敷を構え、藩主や家臣たちが暮らし、政治や文化の拠点として機能していました。その名残は、現代の東京の街並みにも確かに残されています。
寒松院 ― 藤堂高虎の最期を見届けた寺院
上野公園の一角にある「寒松院」は、藤堂高虎の晩年を象徴する場所です。
高虎は家康の影響を強く受けており、臨終の床で「宗派が異なることが心残り」と語ったと伝えられています。
その思いを受け、家康が帰依していた天海大僧正が得度を行い、高虎は天台宗へ改宗しました。
天海から授けられた法名「寒松院殿」が、この寺の名の由来です。
境内に立つと、戦国を駆け抜けた名将の静かな最期が、どこか近くに感じられるようです。
藤堂藩江戸上屋敷 ― 高虎が息を引き取った地
東京都千代田区神田和泉町にあった藤堂藩の江戸上屋敷は、藤堂家の政治の中心でした。歴代当主が暮らし、藩の政務が行われた場所であり、高虎自身もこの地で亡くなりました。
現在は東京医学校や養育院などを経て現代的な街並みへと姿を変えていますが、
「和泉町」という地名には、藤堂和泉守の官位がそのまま残されています。
江戸の町の中に、藤堂家の存在が確かに刻まれていたことを物語る地名です。
藤堂藩江戸下屋敷 ― ソメイヨシノ誕生の地と“染井無足人”
東京都豊島区駒込にあった藤堂藩の下屋敷跡も見逃せません。
この一帯は江戸時代、「染井村」と呼ばれ、植木屋が多く集まる園芸の名所でした。ここで品種改良され生まれたのが、今では日本を代表する桜「ソメイヨシノ」です。
藤堂家の下屋敷の前には植木屋が軒を連ね、春には見事な花が咲き誇ったことでしょう。
また、この下屋敷を警護していたのが、伊賀の“無足人”たちでした。
彼らは「染井無足人」と呼ばれ、江戸の地でも伊賀の技術と誇りを守り続けていました。伊賀の忍びの末裔たちが、江戸の治安を支えていたという事実は、歴史のつながりを感じさせる興味深い一面です。
伊賀から江戸へ、藤堂家がつないだ歴史の糸
かつて江戸の町を歩いてみると、藤堂家の足跡は今も確かに残されています。
寺院の名に、地名に、桜の品種に――。
伊賀から江戸へとつながる歴史の糸は、現代の東京の風景の中にも静かに息づいているのです。
藤堂高虎が築いた伊賀の城と町、そして江戸に残した足跡。
その両方をたどることで、伊賀の歴史はより立体的に、より深く見えてきます。
江戸の街角に残る藤堂家の記憶は、伊賀の歴史を今に伝える“もうひとつの物語”なのです。