忍び(忍者)は日本史の中でも特に有名な存在ですが、歴史資料にはあまり多く登場しません。
このため、
「忍者は本当に存在したのか?」
という疑問を持つ人も少なくありません。
しかし結論から言えば、
忍びは実在していたが、記録に残りにくい職能だった
と考えられています。
本記事では、その理由を歴史構造から解説します。
忍びは記録されないことが前提の存在だった
忍びの任務は主に次のようなものでした。
・情報収集
・潜入
・偵察
・連絡
・破壊活動
これらの活動はすべて
秘密性が最優先
です。
もし活動内容が記録として残れば、
・任務内容が漏れる
・協力者が危険にさらされる
・作戦が破綻する
可能性があります。
つまり忍びは、
記録されないこと自体が職務の性質
だったのです。
忍びは公式記録の主体ではなかった
歴史資料の多くは、
・武士
・大名
・朝廷
・寺社
など権力側によって作成されています。
忍びは多くの場合、
命令を受ける側
であり、記録の主体ではありませんでした。
そのため史料には、
断片的な記述
としてしか登場しないことが多いのです。
身分的に目立たない存在だった
忍びは特殊な身分階級ではなく、
地域社会の中に存在する人々でした。
特に伊賀や甲賀では、
地侍・農民・武士などの立場と重なっていたと考えられます。
つまり忍びは、
職業名というより役割
に近い存在でした。
そのため個人名で記録されることが少なかったのです。
忍びは成功しても記録されない
戦国時代の軍功は通常、
武勇
として評価されます。
しかし忍びの活動は、
・潜入成功
・情報取得成功
・敵情把握
といった目立たない成果です。
これらは表彰対象になりにくく、
功績記録として残りにくいのです。
逆に失敗した場合のみ記録されることもあります。
秘密保持の文化
忍びの活動には
口外禁止
の文化が存在したと考えられます。
任務の性質上、
情報漏洩は重大な危険を招くためです。
そのため記録自体を残さない、
あるいは後世に伝えない
傾向があった可能性があります。
戦乱による史料消失
戦国時代は戦争が多く、
文書が焼失することも珍しくありませんでした。
特に地方文書は残りにくく、
忍び関連資料も失われた可能性があります。
これは忍者に限らず、
中世史料全体に共通する問題です。
忍術書は後世資料が多い
現在知られている忍術書の多くは、
江戸時代に編纂されたものです。
これは戦国時代より後の時代であり、
実践記録というより
整理・体系化された知識
として残っています。
そのため忍びの実態を完全に再現する史料ではありませんが、
当時の思想や技術観を知る重要資料です。
忍びは断片的に史料に登場する
忍びは完全に記録がないわけではありません。
・軍記物
・日記史料
・大名文書
・合戦記録
などに断片的に登場します。
つまり、
存在は確認できるが体系的資料が少ない
という状態なのです。
忍びが伝説化した理由
記録が少ないことは、
逆に想像を生みました。
江戸時代以降、
忍びは物語や娯楽の中で
神秘的存在
として描かれるようになります。
これが現代の忍者イメージの形成につながりました。
記録が少ない=存在しないではない
歴史研究では、
記録が少ない職能は珍しくありません。
例えば、
・密偵
・諜報員
・工作員
なども同様です。
忍びはまさにそのような
影の職能
でした。
記録に残りにくい理由とは、
忍びが記録に残りにくい理由は次の通りです。
・秘密任務が前提だった
・公式記録の主体ではなかった
・身分的に目立たなかった
・成功しても評価されにくい
・秘密保持文化があった
・戦乱で資料が失われた
つまり忍びは、
記録されない構造の中に存在した職能
だったのです。
忍び研究の重要ポイント
現代の忍者研究では、
断片史料を組み合わせて理解する
方法が取られています。
そのため忍びは、
完全な伝説でも完全な記録存在でもなく、
歴史の中間に位置する存在
と言えるでしょう。
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