忍者の足跡

神君伊賀越えを辿る旅|家康と伊賀者が歩いた道を歩く

    天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変が起きました。堺にいた徳川家康は伊賀・甲賀を経て三河へ逃れます。この「神君伊賀越え」において伊賀者が家康を助けたとされる出来事が、後の徳川家と伊賀忍者の深い結びつきの起点となりました。

    神君伊賀越えとは

    本能寺の変の報を堺で受けた徳川家康は、わずかな供回りとともに伊賀山中を越えて三河への帰還を図りました。この逃避行は「神君伊賀越え」と呼ばれ、江戸時代を通じて徳川家の重要な故事として語り継がれました。

    伊賀者の役割

    伊賀越えのルートには、天正伊賀の乱(1581年)で織田軍に敗れ各地に散っていた伊賀忍者たちが潜んでいました。服部半蔵正成ら伊賀者・甲賀者が家康一行の道案内・警護を担ったとされています。

    この出来事が縁となり、家康は後に多くの伊賀者・甲賀者を召し抱えました。幕府成立後、伊賀者は江戸城の警備・情報収集を担う重要な組織となります。

    ルートを辿る

    神君伊賀越えのルートは複数の説がありますが、伊賀市から名張市を経て三重・奈良県境を越えるルートが有力とされています。

    加太(かぶと)越えルート(伊賀市)

    家康一行が伊賀山中を越えたとされるルートのひとつ。現在の伊賀市加太周辺がその舞台とされています。

    柘植(つげ)エリア(伊賀市)

    伊賀越えの出発点に近いエリア。服部半蔵の父・保長の出身地とも伝わる柘植には、伊賀者ゆかりの伝承が残っています。

    伊賀上野エリア

    伊賀越えの歴史を学ぶ起点として、伊賀流忍者博物館を訪れることをおすすめします。神君伊賀越えに関連する資料・解説も展示されています。

    神君伊賀越えが忍者史に与えた意味

    出来事意味
    本能寺の変(1582年)家康が伊賀を越える契機
    伊賀者の助力徳川家と伊賀忍者の結びつきの起点
    江戸幕府成立(1603年)伊賀者・甲賀者が幕府組織に組み込まれる
    服部半蔵の活躍伊賀者頭領として徳川家に仕える

    関連記事

    関連記事

    TOP