甲賀

徳川家と甲賀者の関係|信頼を得た忍者集団の歴史

    甲賀者は伊賀者と並んで、徳川家に深く関わった忍者集団です。両者がどのように信頼関係を築き、江戸幕府の中でどのような役割を担ったのかを解説します。

    神君伊賀越えにおける甲賀者の協力

    天正10年(1582年)の本能寺の変後、徳川家康が伊賀を越えて三河へ逃れた「神君伊賀越え」では、伊賀者だけでなく甲賀者も家康一行の道案内・警護に協力したとされています。

    このルート上には甲賀の地も含まれており、地理的に伊賀と隣接する甲賀の地侍たちも、この歴史的な逃避行において重要な役割を担いました。

    神君伊賀越えを辿る旅

    江戸幕府成立後の甲賀者

    徳川家康が江戸に幕府を開くと、甲賀者の一部は幕府組織に編成されました。

    甲賀百人組

    江戸幕府には「甲賀百人組」と呼ばれる、甲賀者を中心とした鉄砲組が組織されました。江戸城の警備や将軍の警護を担う役割を果たしたとされています。

    諸藩への仕官

    甲賀者の中には幕府直属とならず、近江周辺の諸藩(彦根藩など)に仕える者も多くいました。地理的に近江に近いことから、地域に根付いた武士として存続する道を選んだ家系も少なくありませんでした。

    彦根と忍者

    伊賀者との違い

    伊賀者は天正伊賀の乱(1581年)によって組織が一度解体され、各地に離散した後に徳川家への仕官が進みました。一方、甲賀者は伊賀のような大規模な侵攻・解体を経験せず、比較的緩やかに江戸時代の体制に移行していった点が特徴です。

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    伊賀者甲賀者
    移行のきっかけ天正伊賀の乱からの離散緩やかな体制移行
    主な仕官先江戸幕府(御庭番の前身など)幕府(甲賀百人組)・近江諸藩

    伊賀者と甲賀者の違い

    江戸時代の甲賀者の役割

    平和な江戸時代において、甲賀者の役割は軍事的な諜報活動から、警備・監察といった行政的な役割へと変化していきました。火薬・薬品に関する知識を活かし、幕府の鉄砲組として技術的な役割を担った側面もあります。

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